悲劇にはまだ早い

発達障害な私の備忘録。

診断されてどうしたい

どこかでこんな言葉を聞いた。

障害は、困っているから障害なんだと。

たとえば生まれつき体の一部がなくても、出来ないことがあっても、当事者含め誰も困っていないなら、それは障害にはなりえない。

障害とは、当人と社会の間から生まれるものだ、と。

 

たとえば私は昔から異様に睡眠時間が長く、朝が弱い。そして動きが遅く、要領が悪く、時間の感覚が人より鈍い(のだと思う)。

ので、学校や待ち合わせなどに遅刻することは多々あった。特に朝。

遅刻された側は、決めた時刻までに来られないと困るし、遅刻した側は怒られる。

そういった「当たり前のこと」が生まれてこの方出来た経験がなく、困っていた。

ちなみに就活に失敗して新卒でバイトしていた頃は、朝食は電車内で栄養ゼリー、昼はつくりおきの冷凍ご飯&お茶漬けのもとを持参して職場で熱湯だけ借りてお茶漬け、夕食はコンビニごはん(自炊だと金額や献立などこだわりすぎて時間がかかるので)を帰り道に買い、お風呂はお湯を張らずシャワーのみですませ、服は毎日ルーチン、というのでなんとかやり過ごしていた。とにかく翌日の朝仕事に遅刻しないことを生活の最優先項目にしていたが、ある時気力が切れたのと職場の環境が苦手だったこと、体を痛めたことなど諸々の理由で衝動的に仕事を辞めてしまった。

とにかく、遅刻して人を困らせた経験があまりにも多すぎて、時間に合わせられない自分が困っていることにそもそも気づいていなかった。

でも困っている自分に気づいたから、病院に行こうと決心した。

 

そう。そもそも困っていなければ、別にわざわざ診断を下してもらうこともないのだ。

けれどもしこの「足りなさ」がトレーニングや薬物治療でどうにかなるのなら、私は自分で、困っている自分を救うことができる。

正しくは自分でというよりは、医学や薬学を研究してくれた人たちのおかげ、であるが。

 

なので私の理想ルートは、

1 病院に行く。

2 診断を貰う。

3 薬を出して貰う。

4 普通のことができるようになる。

5 仕事がみつかる!

6 HAPPY END

 

まあ、そう上手くはいかないのが現実と頭ではわかっている。

けれど同じ頭の中の半分くらいで、すべてを克服し希望の仕事に就き、キラキラ女子として生活している自分のビジョンが、まるで既にそうなると決まっているかのような質量を持って存在している。

そして私はこの流れを知っている。

大抵その確固たるビジョンは無惨なまでに打ち破られ、現実を受け入れられない私はキラキラ女子とは縁遠いキーキー癇癪女と成り果て、ベッドに突っ伏して泣く。

今こうして書くことによって、「うまくいかないルート」にもし入ってしまっても、多少は受け入れられる……といいな。