悲劇にはまだ早い

発達障害な私の備忘録。

新生活002

お久しぶりです。

書きかけの記事が残ったまま、すっかり忘れていました。

らしいというかなんというか……

 

1

商業で書いている方はまた別だと思うが、つまるところ「書く」なんて行為は現実逃避に過ぎない。少なくとも私にとってはそうだ。

文章ばかり書いているときなんて、だいたいはそうしなければ落ち着かないほど感情が溢れているか、他にやりたくないことがあるかのどちらかだ。

ブログなんて更新されていないほうが、中の人にとっては幸せなのかもしれない。

 

2

前回の更新からしばらくして、私はなんとか仕事を見つけることができた。

障害者枠での雇用で、時間や勤務形態に関してもかなり柔軟に対応してもらっている。

今までとは全く違う職種だが、もしかしたら今までで一番自分に合っている仕事(当社比)かもしれない。

ただ、そう思えるのは周りの方のサポートがあってのことだ(身バレが怖いので詳細については書きません。ごめんなさい)。

 

あのままクローズ就労を続けていれば、様々な面でより頑なになっていただろうと思う。

体感ではあるが、能力の凸凹や逆境に耐え、死に物狂いで「普通」に追いついた経験がある人ほど、他の同じような人に努力を求めやすい。

頑張ったからどうにかなったという成功体験であったり、なぜ自分だけこんな苦労をしなくてはいけないのか(=他の人も同じ思いをするべきである)という不満であったり、人の中には様々な思いがある。そう感じるのは自然なことであり、きっとその人たちが悪いわけではない。

肝心なのは、自分だってそうなる可能性があるということを頭の隅に留めておくことだ。

 

3

話が逸れてしまったが、初めての障害者雇用枠での就職だ。

正社員雇用の夢は未だ叶っていないものの、ひとまず職に就けたことで、いろいろなものが見えてきた。

たとえるなら、私は餓えた獣だった。ネタ半分の表現ではあるものの、もう半分は本気だ。目の前の獲物を追うのに必死になりすぎて、自分が空腹だから獲物を追っているのか、獲物を追いすぎてお腹が減っているのか、それすらも判別できなくなっていた。とにかく「捕まえなければ」と思い続けていた。実際は餓えた獣というよりすえた干物って感じだったけれど。

 

自覚はなかったものの、昨年(家に籠もっていた頃)はかなり精神的に追いつめられていたらしい。家事全般に加えて、写経、絵の模写、ストレッチに模様替え、思いつく限りのことはだいたいやった。睡眠は長いものの、やはり時間は有り余っていた。比例して貯金は減っていった。大っぴらにはできないが、お金の余裕は心の余裕だと改めて感じた。

今は自分で稼いでいる(社会の役に立って対価を得ている)という嬉しさ。なんとなくだが、ここはあえて喜びではなく嬉しさと書きたい。まだ一人で暮らしていけるほどの収入はないものの、少しずつプライド的な何かが回復してきているように感じる。

家に籠もっていた期間も無駄ではなかったと思う。自分にとっては絶対に必要な時間だった。

 

4

そして今振り返って「これ大事だったな」と思ったこと。

・病院を受診したこと

・障害の診断が降りたこと

・手帳を取得したこと

・福祉を頼ったこと

・似たような人と繋がりを持てたこと

 

詳細についてはまた後日書きたい。

文章にのめりこむ力が昔より落ちてしまった……